1000年かけて紡がれた、人と自然と神をつなぐ水の哲学「トリ・ヒタ・カラナ」

南国リゾートとして知られるバリ島。実はビーチから内陸へわずか10kmほど入るだけで、1000年以上前から人の手で作り続けられてきた棚田の景観が広がります。この棚田を支えているのが「スバック」と呼ばれる伝統的な灌漑システムで、その根底には「トリ・ヒタ・カラナ」という、人と自然・人と神・人と人の調和を大切にするバリ独自の哲学が息づいています。年間1600万人以上が訪れる観光地バリ島。この番組では、静かで壮大な水の物語を紐解いてくれました。

バリ島の棚田
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地図で場所を確認しました

バリ島はインドネシア・小スンダ列島の西端、赤道の南およそ8度に位置する火山島です。世界遺産の登録範囲は、島中央部の高原地帯を中心に、棚田・水寺院・湖など5つのエリアに分かれています。

地図中心:バリ島中央高原(南緯8.4°、東経115.2°)

世界遺産となったのは

世界遺産の登録根拠

正式登録名は「バリ州の文化的景観:トリ・ヒタ・カラナ哲学を表すスバック・システム」。2012年7月、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。棚田そのものだけでなく、水源を守る寺院や湖まで含めた「信仰と農業が一体になった景観」として評価されたのが大きな特徴です。

登録年2012年
構成資産①最高位の水寺院プラ・ウルン・ダヌ・バトゥール
②バトゥール湖
③プクリサン川流域のスバック景観(グヌン・カウィ、ティルタ・ウンプル寺院を含む)
④チャトゥール・アンガ・バトゥカウのスバック景観(ジャティルウィ棚田を含む)
⑤王家の水寺院プラ・タマン・アユン
登録面積約19,520ヘクタール(緩衝地域を含め約20,975ヘクタール)

地域の特色(登録根拠・政治的配慮・自然環境保護)

  • 自然環境保護:スバックは単なる水利施設ではなく、水を分配する寺院の祭礼と一体になった仕組みで、農薬に頼らない伝統的な農法を支えてきました。近年は観光客の急増に伴う水不足が深刻化しており、ホテル・プール等の地下水汲み上げが農業用水を圧迫する新たな課題も指摘されています。
  • 政治的配慮・リスク:インドネシアは全体として比較的安定していますが、バリ州(観光地)は一般犯罪(スリ・置き引き)への注意喚起がある程度で、深刻な渡航リスクは低い地域です。ただし火山島であるため、アグン山など活火山の噴火警戒レベルは訪問前に要確認です。
  • 登録の考え方:ユネスコは「文化的景観」というカテゴリーで、自然そのものではなく人の営みが1000年かけて作り上げた景観全体を評価しました。棚田1枚1枚ではなく、水源の寺院からスバックの水路網、集落までを含めた「仕組み」が保護対象になっている点が特徴的です。

バリ島の地形と特色

バリ島は東西に火山列が連なる火山島で、平地は海岸部にわずかしかありません。中央部にはアグン山(3,031m)などの活火山がそびえ、噴火による溶岩や火山灰が幾重にも積み重なった地質が特徴です。この地層の隙間が水を通しやすく、山に降った雨や湖水が地中に浸透して各地で湧き出す「湧水地形」を作り出しており、これがスバックの水源になっています。

バリ島の気候と雨

熱帯モンスーン気候で、乾季(4〜10月)と雨季(11〜3月)にはっきり分かれます。年間の気温は25〜32℃とほぼ一定ですが、雨量は季節で大きく変わり、雨季には短時間のスコールが毎日のように降ります。

「トリ・ヒタ・カラナ」哲学の特色

人と自然

湧き水・地形を活かした水路網

人と神

水寺院での祈りと沐浴

人と人

スバックによる水の共同管理

「幸せを生む3つの源」を意味するバリ独自の哲学で、「人と自然」「人と神」「人と人」それぞれの調和が幸福の源になるという考え方です。単なる精神論ではなく、実際の農業システムに落とし込まれている点が特徴で、水路の設計(自然との調和)、水寺院での祈り(神との調和)、スバックという農家組合による水の分配(人との調和)という形で、具体的な仕組みとして今も機能しています。

ユネスコ世界遺産センターの公式解説(Brief description)には、この哲学の起源について次のように明記されています。

“This philosophy was born of the cultural exchange between Bali and India over the past 2,000 years and has shaped the landscape of Bali.”
(この哲学は、バリとインドの2000年にわたる文化交流から生まれ、バリの景観を形作ってきた)
出典:UNESCO World Heritage Centre, Brief description(whc.unesco.org/en/list/1194

※ユネスコの公式記載はこの一文のみで、「具体的に何がどう交流したのか」という詳細な歴史的背景(インド商人・バラモンの渡来、ジャワ経由での伝播など)までは踏み込んでいません。

【参考】なぜバリ島だけヒンドゥー教なのか(ユネスコ文書には記載なし)

以下はユネスコの評価文書には含まれていない内容で、宗教史・政治史の一般資料をもとに補足したものです。

バリ島だけがヒンドゥー教になった経緯:バリ島では8〜9世紀頃、ワルマデワ王朝を通じてジャワ経由のヒンドゥー教が定着しました。14世紀にジャワの「マジャパヒト王国」がバリを支配下に置きますが、16世紀にイスラム教国「マタラム王国」によってマジャパヒト王国が滅びると、王族・貴族・僧侶がこぞってバリ島へ亡命しました。ジャワ側が徐々にイスラム化する一方、海を隔てたバリ島は直接の影響を受けにくく、むしろヒンドゥー教のエリート層が集中して移住したことで、バリ島だけがヒンドゥー文化の「最後の砦」として残ったとされています。

国(インドネシア)が公認している理由:インドネシア憲法の建国五原則「パンチャシラ」の第一原則は「唯一神への信仰」で、国民は国家公認の宗教(イスラム教・プロテスタント・カトリック・ヒンドゥー教・仏教・儒教の6宗教)のいずれかを信仰する必要があります。本来多神教であるヒンドゥー教がこの要件を満たせるのか懸念されましたが、バリの宗教指導者たちが教義を整備し、シヴァ神やヴィシュヌ神などの神々を唯一神「サン・ヒャン・ウィディ」の様々な現れとする公式解釈を確立(1962年)したことで、公認宗教として認められました。国が特別にバリを例外扱いしたというより、バリ側が国の一神教要件に自ら適応する形で共存の道を作った、というのが実態に近い経緯です。

番組内で紹介された寺院との関連:番組で紹介された「タンバ・ワラス寺院」「ティルタ・ウンプル寺院」は、いずれも湧き水や清流のそばに建てられた「水寺院」です。ティルタ・ウンプル(Tirta Empul)寺院は世界遺産の構成資産の一つで、水源となるプクリサン川はここを源流としており、沐浴の聖地としてバリ中から参拝者を集めています。

Tirta Empul Temple
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バリ・ヒンドゥー教(インドとの違い)

島民のおよそ9割が信仰するバリ・ヒンドゥー教は、インドのヒンドゥー教がバリ島固有のアニミズム(精霊信仰)・祖先崇拝と融合して独自に発展したものです。インドのヒンドゥー教が本来多神教であるのに対し、インドネシア建国五原則「パンチャシラ」が「唯一至高の神への信仰」を国是としたため、バリでは「イダ・サン・ヒャン・ウィディ・ワサ(一般にはサン・ヒャン・ウィディ)」という唯一神を立て、シヴァ神やヴィシュヌ神などをその化身と位置づけ直すという独自の再編を行いました。また教義よりも儀礼や日々のお供え(チャナン)を重んじる点、カースト制度がインドほど厳格でない点も違いとして挙げられます。

バリカレンダー(バリ暦)の特色

バリ島では西暦のほかに、農作業や祭礼の日取りを決める独自の暦が今も生活に根付いています。中心となるのは「ウク暦(パウコン暦)」で、1年を210日(7日×30週)とする周期暦です。田植えの日や散髪の日、吉日・凶日までが暦に細かく書き込まれており、農家はこの暦を見ながら、スバックという農家組合で話し合い、農作業のスケジュールを割り振ります。もう一つ「サカ暦」という月の満ち欠けに基づく太陰暦もあり、この新年にあたる「ニュピ(静寂の日)」はバリ全島が一日中沈黙する特異な祝日として知られています。

世界遺産に登録された他の灌漑・棚田システム

フィリピン・コルディリェーラの棚田群1995年登録。ルソン島の山岳民族イフガオ族が2000年以上かけて作った棚田群で、総面積2万ヘクタール。一時「危機遺産」に登録されたが2012年に解除。
紅河ハニ族の棚田群(中国)2013年登録。雲南省の山岳地帯に広がる棚田群で、森・水・棚田・集落が一体になった「四位一体」の管理システムが評価された。

世界遺産に行くには

バリの世界遺産に行くツアーは

ウブド発着の日帰りツアーで、ジャティルウィ棚田・ティルタ・ウンプル寺院・タマン・アユン寺院などを組み合わせて周遊するプランが、日本の旅行会社・現地オプショナルツアー会社(ベルトラ等)で取り扱われています。個人でもタクシーやレンタルバイクでアクセス可能ですが、寺院での服装マナー(下半身の肌の露出を隠すために、腰から足首まで覆うように布を着用する等)があるため、ガイド付きツアーが安心です。

気候・ベストシーズン

気候区分乾季:4〜10月(気温25〜32℃、降水少なめ)/雨季:11〜3月(スコールあり)
ビーチ・観光全般天候が安定する乾季、特に混雑を避けたい場合は4〜6月・9〜10月が狙い目
棚田の緑が美しい時期雨季明けの田植え直後(品種や地区により時期はばらつく。2期作のため通年で稲刈り・田植え双方が見られる)

東京からデンパサールへのアクセス(直行便・経由便)

東京(成田・羽田)からデンパサールへはガルーダ・インドネシア航空の直行便で約7時間半が基本ルートです。

2026年7月時点、ガルーダ・インドネシア航空が定期便を運航しているのは東京(成田・羽田)のみです。

地方からは、東京乗り継ぎ(国内線+ガルーダ直行便)のほか、下記のような経由便を利用する形になります。

  • シンガポール経由:シンガポール航空等でチャンギ空港乗り継ぎ。関空・中部・福岡いずれからも直行便があり、乗り継ぎ時間を含め合計10〜13時間程度。
  • クアラルンプール経由:マレーシア航空等を利用。エアアジア系の格安航空券と組み合わせやすいルート。
  • ジャカルタ経由:日本航空・全日空の直行便(成田〜ジャカルタ間、片道約8時間)で首都ジャカルタへ入り、国内線でデンパサールへ乗り継ぐルート。

美しい景観の棚田(国内)

日本の棚田百選(全国5地点)

1999年、農林水産省が保全活動の推進を目的に、全国117市町村・134地区の棚田を「日本の棚田百選」として選定しました。バリ島の棚田と同じく、人の手が作り上げた景観です。地域を分散して5地点をご紹介します。

白米千枚田(石川県輪島市)

日本海に面した棚田で、狭い斜面に1,000枚以上の田が連なる。ライトアップイベントでも有名。

姨捨(おばすて)棚田(長野県千曲市)

「田毎の月」の別名で知られ、月夜に畔道を歩くと田に月が映ることから古くから和歌に詠まれてきた。

大山千枚田(千葉県鴨川市)

東京から一番近い棚田とされ、375枚の田が残る。棚田オーナー制度の先駆けとしても知られる。

丸山千枚田(三重県熊野市)

1,000枚を超える棚田が斜面いっぱいに広がる、国内最大級の規模を誇る棚田。

浜野浦の棚田(佐賀県玄海町)

玄界灘に面し、夕日が棚田の水面に映る光景で知られる九州を代表する棚田。

バトゥール湖のような流れ出る川がない湖

バリ島のバトゥール湖は、雨水がカルデラに溜まってできた湖でありながら流れ出す川が1本もなく、水は地層に浸透して各地で湧き出しています。このように流出(あるいは流入も)河川を持たない湖は、専門的には「内陸湖」(英語で endorheic lake)と呼ばれます。

  • 日本国内の例:北海道・摩周湖:流入する川も、流れ出す川も一切ない、国内でも稀有なカルデラ湖です。雨水が土壌でろ過されて湖に溜まるため、世界屈指の透明度(透明度20m前後)を誇り、「摩周ブルー」と呼ばれる神秘的な青さで知られています。バトゥール湖と同じく、水が地下に浸透していくタイプの内陸湖です。
摩周湖
摩周湖(摩周ブルー)
  • 世界の例(乾燥地域型):アメリカのグレートソルトレーク、中央アジアのアラル海、中国の青海湖などは、乾燥地域にある内陸湖の代表例です。これらは湖面からの蒸発が中心のため水が濃縮され、塩湖になっている点がバトゥール湖・摩周湖とは異なります。

参考情報源

情報源(URL付き)

※宗教史・政治史に関する補足情報は、上記のような一般的な参考資料に基づくものであり、政府機関の一次資料ではありません。